登録年月日:2006.07.05
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木曾平沢は、標高900m奈良井宿の北東奈良井川右岸に位置し、慶長7年に江戸幕府により中山道のルートとして整備されたことで宿場である奈良井宿の枝郷という位置付けの工人町として発展し始め、高地の寒冷気候と湿度が漆工に適していることもあって、江戸時代を通して中山道随一の漆器生産地として栄えた。昭和時代初期の漆工町の特徴を伝える建築が多く現存することから2006年に重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けた。
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解説
木曾平沢は、江戸幕府により整備された中山道沿線にあり、隣接する「奈良井宿」の枝郷として形成された集落です。江戸時代より日常什器を主とした漆器業で繁栄し、明治期以降も本堅地漆器の製造技術を導入するなど、技術革新によって成長してきました。昭和50年(1975)には「木曽漆器(きそしっき)」が経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定され、今なお日本有数の漆器生産地としての地位を維持し続けています。街道沿いには漆器店が軒を連ね、街路に面して主屋を建て、中庭を介して漆塗の作業場である塗蔵を配した町並みが連なります。木曾平沢は江戸後期の地割をよく残すとともに、伝統的な町家や塗蔵などが一体となり、漆器生産の町としての特色ある歴史的風致をよく伝えており、平成18年(2006)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。